人生はそう、一杯のコーヒー。
人生を変えてくれる言葉は、エロ本におちている事さえある。
県外の進学高校に通っていたが、まったく勉強する気にならず、ひたすら歴史小説やビジネス書を読んでいた。そんなある日、『人生を変えてくれる言葉』と出合った。
それは歴史小説でもビジネス書でもなく、エロ本にあった。
というお話です。(論点は他にもありますが、ここでは割愛します)
似たような経験をした人は、案外多いのでないかと思っています。
私も、幼い頃にはマンガやテレビゲームの影響をモロに受けていましたし、今でも心にとどめているセリフなんかがいくつかあります。
さて、今日はこの論点にちょっと関連するお話をご紹介させてください。
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『人生はそう、一杯のコーヒー』
有名大学を卒業して輝かしいキャリアを今まさに築いている若者たちが、久し振りに母校の教授を訪ねたときのお話です。
会話はすぐに仕事や日常のグチの言い合いに発展する中、教授は教え子にコーヒーを振舞うためにキッチンへ向かいました。
数分後に教授は、大きなコーヒーポットと色とりどりのコーヒーカップを携えて戻ってくると、それぞれに好きなカップにコーヒーを注ぐように言いました。
陶器、ガラス、クリスタル…、もちろんプラスチックの白いコップまで。教え子は各々が選んだカップにコーヒーを注ぎ終えてカップを手にしたとき、教授は優しく話し始めました。
「ここに白いプラスチックのコップが残りましたね。みなさんが選んだカップは確かに美しいし、高価なものばかりだ。もちろん、せっかくなのだから良い器でコーヒーを飲みたいと考えるのは普通です。しかし、そういったものが人生においては、問題となりストレスになるものなのです」
教授は続けます。
「カップそのものがコーヒーの味を変えないことは、みなさんわかっていらっしゃる。みなさんが選んだカップはただ高価なだけです。時としてそういうカップは、私たちが飲むものを隠すために使われることもありますけれども」
「今、私たちはコーヒーが飲みたかった。カップが欲しかったわけではありません。しかしあなたがたは綺麗なカップを意図して選び、そひて他の人が選んだカップにそれぞれ目を配っています」
「人生はそう、一杯のコーヒーのようなものです。そして仕事、お金、名誉や地位は、みなカップです。そのカップがなんであろうと、人生が勝手に決まったり、あるいは人生を変えてくれるなんてことはありません。私たちにはときどき、カップだけしか目に入らなくなってしまうときがあります。そんなとき私たちは、せっかく与えられた自分だけの"コーヒー"を楽しめなくなってしまうものです」
そして教授は最後に言いました。
「さあ、コーヒーを楽しみましょう」
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いかがでしたでしょうか。
実際にはカップが飲み物を\\\"隠す"ことがあるように、カップによって飲み物がさらに美味しく感じられたりすることもあるでしょう。
言葉も同様、同じ言葉でも、言う人が違えば重みも違って感じられることはよくあります。
これを踏まえた上で、今一度気をつけたいものです。
同じ言葉で、重みは違うかもしれません。
しかし違うのはあくまで重みで、意味ではない。
カップに囚われないよう、コーヒーを楽しめるよう。
![]() ![]() | 東山 http://newsing.jp/ |
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